2023年に設立125周年を迎えた世界最古のクラシック専門レーベル「ドイツ・グラモフォン」。オーディオ評論家の麻倉怜士氏をセレクターに迎え、名演奏家の宝庫ともいえるドイツグラモフォンの作品群より「天才たちの名演・快演・凄演」と題して、演奏、録音ともに優れ作品を厳選してご紹介いたします。

ドイツ・グラモフォンは1898年6月、円盤レコードを発明したエミール・ベルリナーが故郷のドイツ・ハノーファーに建てたプレス工場から、スタート。以来今日まで、メディアを通じたクラシック音楽の普及に果たした役割は測り知れない。メディアはSP、LP、CD、SACD、ハイレゾ、ダウンロード、配信……と激変しているが、クラシック録音のメッカとしての地位は、いつの時代も不動だ。 私がドイツ・グラモフォンが特に凄いと思うのはカラヤン、ベーム、バレンボイム……という巨匠たちだけでなく、“未来の巨匠になるライジング・スター”たちの発掘にも多大の努力を傾けているところだ。本特集では、そんな新旧の天才たちの傑作をご紹介しよう。登場する天才たちは----。

  1. ベネズエラの音楽教育から世界に飛躍した世界的指揮者、グスターボ・ドゥダメル
  2. 個性の塊のような鮮烈さを聴かせるラトビア・リガ出身のヴァイオリニスト、ギドン・クレーメル
  3. とびきり美しく、艶やかに微光を放つヴァイオリンのリサ・バティアシュヴィリ
  4. クラシックを現代感覚でスタイリッシュに奏でるセルビアのヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチ
  5. 人気、実力ともに世界最高のピアニストとして君臨するマルタ・アルゲリッチ
  6. 正確無比さでは世界ナンバーワンのマウリツィオ・ポリーニ
  7. 2010年ショパン国際ピアノ・コンクール第2位、コンチェルト賞、幻想ポロネーズ賞を受賞したインゴルフ・ヴンダー
  8. 世界の複数の大コンクールを制覇したダニール・トリフォノフ
  9. 2015年、ショパン国際ピアノ・コンクール優勝のチョ・ソンジン
  10. 主要なコンクール入賞履歴なしにして、いまや世界的なスターピアニストのヤン・リシエツキ
  11. ミニスカートでピアノと戦う豪腕なユジャ・ワン
  12. ジャンルを超えたスーパーピアニストのラン・ラン
  13. 清澄で知的なチェンバロで注目のマハン・エスファハニ
  14. 「驚くほどすばらしい指さばき」とニューヨーク・タイムズが称賛したマンドリンの鬼才、アヴィ・アヴィタル
  15. アコーディオンの女神、ラトビアのクセーニャ・シドロワ

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ニューズウィーク日本版(2012年3月14日号)。が、グスターボ・ドゥダメルを書いた連載記事のタイトルが「音楽の未来を作るロックな指揮者」だった。1981年、ベネズエラのバルキシメトに生まれ、エル・システマの音楽教育を受ける。12歳で初めて指揮、15歳でベネズエラのアマデウス室内管弦楽団の音楽監督、18歳でシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの音楽監督に就任。その後は破竹の勢いで、世界の有名オーケストラを制覇。現在、ロサンゼルス・フィルハーモニック音楽監督、エーテボリ交響楽団首席指揮者、ベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団音楽監督、パリ国立歌劇場管弦楽団音楽監督(2022/2023シーズンで終了)を務めている。本アルバムのウィーン・フィルとは、2007年、26歳の時にルツェルン音楽祭で振ったのが嚆矢だ。2017年にはニューイヤー・コンサートの指揮者を務めている。

若さと活力に溢れた「展覧会の絵」だ。本曲は耳がタコになるほど、たくさんの演奏を聴いているが、 ドゥダメルの一音一音にアクセントを与える強靱な進行と、ウィーン・フィルの柔らかさ、しなやかさが不思議に融合する、まさにドゥタメル+ウィーン・フィルならではのハイブリッドな魅力だ。これは冒頭の「1.プロムナード I」の話だが、「2.小人」は強靱だ。シャープネスが鋭く、キレキレに迫る。ウィーン・フィルの低減はどんなに強く、速くても、味わいはウィーン風。しなやかに、同時に強烈に奏される。「3.プロムナード II」はアクセントがなく、平坦だが、ウィーンの音色は美しい。「6.テュイルリーの庭」はコケティッシュに、表情が豊か。「7. ビドロ(牛車)」はウインナホルンの味わいが濃い。弦が入ると、ウィーンらしさがより芳醇に。「9.卵の殻をつけた雛の踊り」の急速上行の俊敏さ。「10.ムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」の弦のトゥッティの切れ味と歌いの深さに加え、ミュートトランペットの鋭くも柔らかい音色もまさにウィーンだ。「11.リモージュの市場」は、ヴィヴットさとシャープさで、ドゥタメルの面目躍如。「12.カタコンベ(ローマ時代の墓)」の壮麗さ、金管合奏の緻密さ、ウィーン的な粒立ちの気高さ。「14.鶏の足の上に立つバーバ・ヤーガの小屋」の切れ味と畳み込み、端麗さと雄暉さ。「15.キエフの大門」は壮大なフィナーレ。豪奢で華麗で色彩的だ。同時にウィーン的な端正さも感じられた。

録音も素晴らしい。細部までの見渡しがクリヤーで、音に生命が満つる。演奏の切れ味と同様に、スピードが速く、ドゥタメルのハイエネルギーを的確に伝えている。2016年6月、ウィーンで録音。

ドゥダメルはもうひとつ、手兵のロサンゼルス・フィルハーモニーを振った、バルトークのオケコンも素晴らしい。オーケストラの高い能力を最大限に活かした、まさに快刀乱麻な進行だ。正確なビートが明瞭に時間軸を刻み、オーケストレーションの複雑さを感じさせない鮮明な切れ味。バルトークのスコアに込めた、微細なニュアンスやダイナミクスを的確に引き出した快演だ。

第4楽章の喜劇的なコケティッシュさ、第5楽章冒頭のホルンの咆吼と快速アンサンブルの冴えは、まさに快感。バルトークの晩年の情熱と一体化したドゥダメルの熱情は聴き物。ライブ録音だが、響きが過剰なほどではなく、まるでスタジオ録音のようなクリヤーさ。解像感と透明感が高く、克明な楽器描写にて、音場の見渡しが極めて透徹している。繊細で同時に鮮烈なドゥダメルの演出をリアルに届けてくれるハイレゾだ。2007年1月、ウォルト・ディズニー・コンサートホールでライブ録音。

ラトビア・リガ出身のドイツ系ユダヤ人ヴァイオリニストギドン・クレーメル(1947年2月~)は、正真正銘の大天才だ。4歳からヴァイオリンを始め、7才でリガの音楽学校に入学。16歳でラトビアの音楽コンクールで優勝。1969年のパガニーニ国際コンクール、1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位に輝いた。個性の塊のような鮮烈さで、世界的な大スターだ。

ヴィヴァルディの「四季」とピアソラの「ブエノスアイレスの四季」を組み合わせ、クレーメル&クレメラータ・バルティカが発表した話題作「エイト・シーズンズ」に続く、「ニュー・シーズンズ」。フィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第2番「アメリカの四季」や梅林茂の「日本の四季」を収録している。

フィリップ・グラスが2009年に作曲した ヴァイオリン協奏曲第2番「アメリカの四季」はミニマルな音型ループを基本にした親しみやすい旋律、和声が紡がれる。ヴァイオリンソロが格段に多く、クレーメルの神技がたっぷり堪能できる。1997年バルト三国から有能な若い音楽家を集め、クレーメルが設立した、クレメラータ・バルティカ室内楽団も神妙に伴奏。日本の映画音楽作曲家、梅林 茂の映画『夢二』のテーマは、現代のシベリウス「悲しいワルツ」だ。ヴァイオリンがたいへん感傷的。録音は音場の透明度が高く、豊かなソノリティの中にソロヴァイオリンが屹立している。2013年2月、リトアニアで録音。

リサ・バティアシュヴィリは1979年、グルジア(ショージア)・トビリシ生まれ。94年に一家でドイツのミュンヘンに移住。95年に16歳でシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで2位に入賞。ハンブルクとミュンヘンでヴァイオリンを勉学。2001年にEMIよりCDデビュー、ソニー・クラシカルからも2枚のCDをリリース。2010年にはドイツ・グラモフォンへ移籍。

本アルバムは、リサが「自らの人生のように都市を巡る」がコンセプトだ。チャップリンの街の音楽「シティ・メモリーズ」から始まり、ミュンヘン、パリ、ベルリン、ヘルシンキ、ウィーン、ローマ、ブエノスアイレス、ニューヨーク、ロンドン、ブカレスト、トビリシと11の都市を、その土地にまつわるクラシック、映画音楽、民謡で巡るのである。リサ・バティアシュヴィリはプロデュースと演奏の二刀流だ。内容が素晴らしいので、一口コメントを。

「1.シティ・メモリーズ」。テリーのテーマの神秘的な旋律の動きと、艶々した音色がまずは印象に残る。チャップリン映画のサントラで聴く哀愁の感情を、スマートに編曲している。リサ・バティアシュヴィのヴァイオリンはカラフルにして、とびきりの美しさ。甘美で艶やか。微光を放つ。

「2.バッハ: われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ BWV 639」はかそけき、繊細な音色。朝靄にまどろむミュンヘンの早朝の景色が浮かぶ。「3. ミシェル・ルグラン: パリのヴァイオリン」はお色気たっぷり、おしゃれなパリのワルツ。艶々した街の美しさがイメージされる。「4.ラルフ・マリア・シーゲル: ベルリンのスーツケースベルリン」は、ドイツ語アナウンスから始まり、目眩く蠱惑的な街をさまよう。最後にはティル・ブレナーのトランペットのスウィングジャズも登場。「5.フィンランド民謡:イヴニング・ソング」はフォークロアな香りがたっぷり。ウィーンの「リストのモチーフによるヨハン・シュトラウス1世:狂乱のギャロップ」は愉しい上行旋律を繰り返す。享楽的なウィーン人はいい人生だ。

ローマは「7.エンニオ・モリコーネ:愛のテーマ(『ニュー・シネマ・パラダイス』から)」。感情たっぷりに歌い上げるのが、まことに感傷的だ。ブエノスアイレス」は「8. ピアソラ:アディオス・ノニーノ / 南へ帰ろう / ブエノスアイレス零時」。妖艶なラテンの香りに噎せる。ニューヨークは「9.ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調『新世界より』第2楽章」。ドボルザークはニューヨーク国民音楽院の院長時代に作曲している。「家路」のメロディはほぼ原曲どおりのアレンジだ。ポルタメント的だが、歌わせ方は過度に耽溺しない。 「10.」のロンドンはジョージア出身のイギリスのシンガーソングライター、ケイティ・メルアの歌唱が味わい深い。ブダペストは「11.民謡のひばり」。空を駆けるようなヴァイオリンとオーケストラの躍動。チャルダッシュ的なジプシーの香りも。

録音も優れ、ナチュラルな解像感と深い階調感が聴ける。オーケストラも俊敏で、ソロヴァイオリンの闊達さと同調し、典雅でヴィヴットな音世界を構築している。

ネマニャ・ラドゥロヴィチは1985年セルビア生まれ。ドイツ、ベオグラード、パリ、クレモナでヴァイオリン修行。2003年以降、ハノーファー国際をはじめとする5つのコンクールで第一位を獲得。2014年、ドイツ・グラモフォンと契約。これまでバッハ、チャイコフスキー、リムスキー・コルサコフのCDをリリース。「クラシックを現代の感覚でスタイリッシュに奏でる変幻自在なアーティスト」と資料にはある。

本アルバムは、なんとバッハ。爽快で、実に情熱的なバッハだ。「1.2つのヴァイオリン、弦楽合奏と通奏低音のための協奏曲 ニ短調」の第1楽章は目も止まらぬ超スピード。浮力を持ち、軽々と飛び跳ねるネマニャのヴァイオリンが清新だ。打って変わって、情感に満つる第2楽章は、ヴァイオリンの軽快な浮力がここでも心地よい。第3楽章は超速。でも基本はレガートだから、メタリックにはならないのである。まるで人が早口で喋るようなアーティキュレーションが可愛い。「4.J.S. Bach: トッカータとフーガ ニ短調」は、弦楽でオルガンを再現。確かにストップに弦の音色があれば、こう聞こえるだろうという編曲だ。ヴァイオリン音は限りなく優しいフレジォレット(倍音)最弱音とアンサンブルのトゥッティの最強音との間のレンジが広大だ。有名な「9.管弦楽組曲 第3番のエア」(G線上のアリア)は、感情表出がないような、フラットでスクウェアな音運びだ。いつもは、こってりとし、思いの籠もったエアを聴いているので、これはこれで新鮮。

2016年3月&6月パリで録音。

アルゼンチンはブエノスアイレス生まれのマルタ・アルゲリッチは、1957年にブゾーニとジュネーヴの国際ピアノ・コンクール、1965年にショパン国際コンクールで優勝。以来、人気、実力ともに世界最高のピアニストとして君臨している。

ショパン・コンクール優勝の2年後の1967年、アルゲリッチ26歳の時に録音されたショパン・アルバム。強靭なタッチと圧倒的にシャープな切れ味、奔放なる驀進……でも、決して粗野にならず、どんなに強音でも、音色の美しさと整然さを失わない驚異のピアニズムだ。アルゲリッチならではのハイエネルギー感、瞬発力、集中力、強靭なタッチ感には改めて感嘆。どんなに速いパッセージでも、一音一音が輪郭を持ち、音楽的な解像度がひじょうに高いのである。

本アルバムではアルゲリッチの音楽の美質である「精緻さ」「超絶テクニック」「音のパレットの多色、多彩さ」「ダイナミックレンジの幅」……が、実に生々しく表出されている。もの凄く個性的で、若きアルゲリッチだけのワン・アンド・オンリーの境地だ。(「英雄ポロネーズ」の中間部)のもの凄いスピードの左手オクターブ下行に驚嘆。録音もアルゲリッチの演奏とまさしく同質のキャラクターを持つ。細部まで切れ込みが鋭く、高解像度で、輪郭が鮮明だ。

1967年1月、ミュンヘンにて録音。

ショパン・コンクール優勝から3年後の1968年、27歳のアルゲリッチが、30代半ばのアバドのサポートを得て録音したショパンのピアノ協奏曲第1番。後に、98年に元夫のシャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団ともにEMIが録音した演奏は文字通り、57歳の円熟の極みだった。

本ショパンは新鮮で、みずみずしく、まさに天馬駆けると形容できる颯爽感が身上だ。ピアノが硬質にキラキラと美しく輝き、颯爽と進行する。緩徐部分では、実に深い感情が聴ける。静かな興趣を湛え、落ち着いた響きのオーケストラの存在も、アルゲリッチのハイスピードと剛毅さを見事に支えている。ホールトーンを豊かに取り入れた録音。ピアノがセンターに主役を張り、オーケストラが背後に距離をとって鎮座する。

1968年2月、ロンドンで録音。

1960年、18歳でショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインをして「技術的には我々審査員の誰よりも上手い」と言わしめた大天才だ。その称号は「ミスター・パーフェクト」。正確無比さでは、まさに世界ナンバーワンだった。

その後、10年近く国際的な演奏活動から遠ざかり、再登場した頃の1972年に録音されたのが、この世紀の名アルバム、「12の練習曲」だ。まさにこの時代のポリーニだからこそ、できた鮮明にして鮮烈な壮絶名演だ。打鍵感が実に尖鋭で、ハイスピード。なんの迷いもなく、指で鍵盤を叩くと、瞬時にストレートに音が出る。間髪を入れずの音の立ち上がりが超俊敏だ。一音一音が尖り、どんなに速いパッセージでも輪郭が鮮やか。切れ味がもの凄くシャープ。そのテクニックの精密さには驚嘆するしかない。演奏と同様、録音も実に鮮明。ポリーニのどんなディテールも精巧に捉えたいというエンジニアの意欲が分かる音だ。

1972年1月、5月、 ミュンヘンで録音。

2010年ショパン国際ピアノ・コンクール第2位、コンチェルト賞、幻想ポロネーズ賞を受賞したオーストリアのインゴルフ・ヴンダー(Ingolf Wunder、1985年生まれ)の初の協奏曲アルバム。2011年からドイツ・グラモフォン専属となり、CDとしては第3弾。バックはウラディミール・アシュケナージ指揮サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調を聴く。

華麗で壮麗。低音が雄大な安定した土台に乗り、若々しくも、ブリリアントなピアノを聴かせてくれる。第3楽章はピアノの小節第2音のアクセントが、そのままの勁さで、会場に広く拡散する。華麗で振幅が大きく、意思力の強いチャイコフスキーだ。

録音はライブ収録とは思えない鮮明さ。ピアノもオーケストラもきわめて鮮烈。すべての楽器が立っている。鍵盤上の指の転がりが、高解像度と高粒立ちで再現され、和音の構成音までリアルに分かる、煌めく音の粒子が2つのスピーカーの間で、華麗に舞う。チャイコフスキー・コンチェルトの録音でここまで、キラキラとする絢爛感に溢れるのも珍しい。2012年6月27日~7月1日、サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー大ホールで録音。

ダニール・トリフォノフは2010年に、ワルシャワで開催されたショパン国際ピアノ・コンクールで第3位、アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールで優勝、モスクワのチャイコフスキー国際コンクールで優勝という複数の栄誉に輝いた。

本アルバムはショパンの2曲のピアノ協奏曲に加え、ショパンのソロ作品と、モンポウ、シューマン、チャイコフスキー、グリーグ、バーバーによるショパンへのオマージュ作品を収録している、質量共に、たいへんコスト・パフォーマンスがよいアルバムだ。

ショパン:ピアノ協奏曲第2番へ短調第1楽章冒頭のオーケストラの音場が素晴らしい。2つのスピーカーの間に拡がるだけでなく、奥行きが深い。弦が手前に、木管群が奥に……という位置関係に加え、録音会場を目の前に彷彿させるような濃い音場密度だ。約3分の前奏が終わり、 ダニール・トリフォノフが衝撃的な一撃で、登場。ピアノが発する響きの量は、背後のオーケストラより明らかに多く、美しい。

美しいのは響きのサウンドだけでなく、ピアノから直接的に発せられる音色も、信じられないほどの美しさ。ショパンらしく、ニュアンスの感情が豊富で、フォルテとピアノの間のダイナミックレンジが広大だ。特筆すべきは、音のグラテーションの緻密さ。音の階調のひとつひとつに濃い感情が籠もる。最終トラック、「33.幻想即興曲」 の緩徐部の、かそけき、秘めやかなロマン性と、即興部のダイナミックなハイテンションとの対比が、鮮やかだ。

録音だが協奏曲では中央のピアノ音像は、クリヤーで輪郭が丁寧。空気感も豊かで、まさに「浮かび上がる」という言い方がふさわしい。ソロ作品の録音も、直接音と間接音のバランスが佳い。2017年4-5月(協奏曲第1番&第2番)、2016年7月(ロンド 作品73)、2017年4月、ハンブルクで録音。

ダニール・トリフォノフのドイツ・グラモフォン第3弾はリスト集。瞬発力と明晰さに加え、詩情を湛えた若々しい名演である。

リストならではのウルトラ・ハイテンションな技巧の見せ場から、繊細でリリックな詩情まで、これほど表現のダイナミックレンジが広大なのかに感嘆。個々の曲にあわせ千変万化。剛直で豪快な側面と、ものすごく繊細でラブリーな側面を曲、楽章、パートによって使い分ける。どんなに弱い音でも明晰で、打鍵が確実だ。録音も切れ味と同時に、ホールトーンが美しく捉えられている。

2015年9月、ベルリンで録音。

2015年第17回ショパン国際ピアノ・コンクールで優勝した29歳のチョ・ソンジンは今,最も輝いているピアニストだ。2009年浜松国際ピアノ・コンクールで、15歳で最年少優勝。2011年に17歳でチャイコフスキー、2014年に20歳でルービンシュタインの両コンクール第3位。そして21歳で、ショパン・コンクールで優勝。

本作はショパンコンクールでのライブ録音。叙情性と躍動感が高い次元で均衡した、みずみずしいショバンだ。特に素晴らしいのが、「ポロネーズ賞」に輝いた「ポロネーズ変イ長調 作品53英雄」。よくある爽快に駆け巡る雄大で強靱な「英雄」ではなく、影と優しさを内面に秘めた端正な「英雄」だ。ダイナミックレンジの弱音と強音の対比を鮮明にするのではなく、その間の階調を実に丁寧に、稠密に描いている。特に中間部のピアノ部分は、アゴーギクと感情の深さで「英雄」の影の部分を見事に表現している。会場からの情熱的な拍手の理由が分かる、並ではない「英雄」だ。ライブながら録音はディテールまで丁寧に捉えられている。

2015年10月、ワルシャワはワルシャワ・フィルハーモニーでライブ録音。

ヤン・リシエツキは弱冠28歳。1995年、カナダはカルガリーでポーランド人の両親の元で生まれ、わずか9歳でオーケストラ・デビューしたという逸話の持ち主だ。以後、世界各地の有名オーケストラの共演、室内楽、リサイタル活動にて、主要なコンクール入賞履歴なしにして、いまや世界的なスターピアニストだ。2011年2月に16歳でドイツ・グラモフォンと録音専属契約。初CDはモーツァルトのピアノ協奏曲。

3枚目のアルバムが、このパッパーノ率いるローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団と共演したシューマン作品集だ。ピアノ協奏曲イ短調を聴く。軽妙、明瞭、鮮鋭だ。冒頭のイ短調のテーマも甘口ではなく、感情と元気が横溢した若々しいもの。ビアニズムも耽溺的ではなくヘルシーで、伸びやかだ。第3楽章フィナーレの装飾音符が華麗。

パッパーノとローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団は、まさにイタリア的な明るいロマンティシズム満点。ドイツ的なほの暗さと深き感情が入り交じる風ではなく、ラテン的などこまでも青く、清潔な透明感の高い空気感だ。合いの手の入りの軽妙さは、パッパーノのまさに職人芸。名盤の多い同作品系譜に新しい1ページを加える、清新、美的、繊細、そして伸びやかなシューマンだ。

録音もこれみよがしなところがなく、ナチュラルで生成りの表情が、若きシューマン像を見事に浮き彫りにしている。弦の倍音も豊潤で、内声部まで明瞭だ。2015年9月27-29日、ローマはサンタ・チェチーリア国立音楽院で録音。

1987年、北京生まれ。6歳よりピアノを始め、北京の中央音楽院、カナダのマウント・ロイヤル・カレッジ音楽院、フィラデルフィアのカーティス音楽院で学ぶ。2009年にドイツ・グラモフォンと専属契約。09年春のデビューCD「ソナタ&エチュード集」で、世界の耳目を惹いた。

本作「トランスフォーメーション」は第2作。「変形、変容」の意だ。CDのライナーノーツは、「ブラームスでは主題が原形も含めると27回も形を変えるし、ラヴェルは本来の形式が判らなくなるほどワルツを変容しており、ストラヴィンスキーのペトルーシュカ人形も、完全な人形に戻る前に一時的に人間へと姿を変える。ユジャは、それを〝創造と破壊の間にある領域″と見なしているのである」と述べている。

余りのハイテクニックには爽快さを覚えるほど。「ペトルーシュカ」は、まるでオーケストラ演奏かと思えるほどの輝ける音色感。確かにピアノの音なのだが、ハーモニーとメロディ、そしてリズムの三要素が完璧にシンクロしているので、オーケストラが鳴っているような錯覚も。「33. Ravel: ラ・ヴァルス」は、リオネル・ブランギ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、次ぎにも紹介しているが、そのオーケストラ演奏にも負けるぞとも劣らない色彩感と躍動感だ。

2010年1月1日、ハンブルク=ハールブルクで録音。

天才指揮者と天才ピアニストの協演だ。指揮者のリオネル・ブランギエは1986年、フランスのニース生まれ、2005年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。2012年に26歳の若さでチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の首席指揮者・音楽監督に指名。2014から2018年まで務めた。

「38.ラヴェル: ラ・ヴァルス」を聴く。響きのスピードの速さが透明感を演出。オーケストラの歌いもカンタービレが効き、弱音での感情の豊かさから、強音トゥッティでの大スケールの迫力感まで、生生しく聴かせてくれる。まさにホール1階のセンターで聴いている感覚だ。音色感も素晴らしい。弦が艶やか、木管がしなやかで、ラヴェル的な色彩感が豊かなことに加え、スイスのオーケストラらしい清涼感がハイレゾでたっぷりと愉しめる。

天才ピアニストは、言わずと知れたユジャ・ワン。「30.ラヴェル: ピアノ協奏曲ト長調 M.83」と「左手のためのピアノ協奏曲ニ長調 M.82」の2曲。当代一のテクニシャンで、まるでアスリートのようにシェイプアップされた容姿と、原色のコスチュームが目に楽しいユジャ。その音楽は、まさにビジュアルと同じく色彩的でブリリアントだ。彩り溢れるラベルのコンチェルトこそ彼女に最適だ。ホールの響きの美しさは格別。響きの向こうでユジャがカラフルに弾いている。チューリッヒ・トーン・ハレ管弦楽団の本拠、スイスはチューリッヒのトーン・ハレ(コンサートホール)で録音。音場が透明で、涼やかな空気が飛び交う。2014年11月、2015年1、4、9-11月(ライヴ)、2015年4月(協奏曲)録音。

マハン・エスファハニ(1984年、イラン生まれ)は新世代のチェンバロ奏者。弱冠30歳で、ギルドホール音楽演劇学校の教授に就任。2014年6月にはドイツ・グラモフォンと専属契約。2015年5月、デビュー作のバロックとミニマルを対比させた「TIME PRESENT AND TIME PAST」をリリース。チェンバロの「ゴールドベルグ変奏曲」はドイツ・グラモフォン/アルヒーフとしては36年ぶりという。

繊細で強靱なゴールドベルグだ。作曲された楽器だけあり、対位法の綾がディテールに至るまで、実に明瞭に識れる。一段鍵盤なのに、右手と左手の音色の違いをアーティキュレーションで、描き分けているから、複数声部の対話が鮮やかに聴け、対位法の醍醐味がよりはっきりと分かる。 録音テクニックも冴える。清澄で知的な音を見事に捉え、楽器としても、また音場再現としてもひじょうに透明感が高い。録音的にも複数の声部が互いに対話していることが明瞭に識れるのである。

2016年4月、ケルンで録音。

ラン・ランは1982年6月日、瀋陽(シェンヤン)生まれ。3歳でピアノを始める。5歳で、瀋陽ピアノ・コンクールで第1位を受賞。北京の中央音楽学院に9歳で入学。13歳には、仙台の第2回チャイコフスキー国際青少年音楽家コンクールで第1位。フィラデルフィアでカーティス音楽院で学ぶ。17歳の時にシカゴ交響楽団のラヴィニア音楽祭“世紀のガラ・コンサート”にてチャイコフスキーのピアノ協奏曲を急遽代役演奏し、一躍スターの座を獲得した。

そのラン・ランは20年余に渡って、「ゴールドベルグ変奏曲」を研究してきたという。「バロック時代の装飾スタイルをモダン・ピアノに適した形で移植し、より自然な響きを追求していくことができました」と、CDジャーナルのインタビューで語っている。本特集ではマハン・エスファハニのチェンバロによるゴールドベルグも紹介しているから、比較するとたいへん興味深い。

ピアノで奏されるアリアは、音色がたいへん美しい。倍音が豊かに放射され、響きの美しさとあいまって、これほど色彩的で濃密なゴールドベルグは、他にないと思わせる。第1変奏は中庸のテンポで、一音一音がたいへん明瞭、輪郭も立つ。カノンコードの低音の下行では、アクセントが強調され、ビートが効く。「第2変奏」は対位法のメロディ部がキラキラ輝く。まさにピアノならではの音色表現力を最大限に発揮した描画だ。カラフルな音の粒子が、空間に勢いよく飛び散り、音場が満艦飾にカラリングされる。これほど艶やかで、色に満ちるゴールドベルグも、珍しい。

2020年3月15-18日、ベルリンはイエス・キリスト教会で録音。

ワディム・レーピン(ヴァイオリン)は1971年、シベリアのノヴォシビルスク生まれ。5歳でヴァイオリンを始め、7歳でオーケストラと共演する。11歳の時にヴィエニャフスキ・コンクールの全部門で金賞。モスクワとサンクト・ペテルブルクでリサイタル・デビュー。1989年、17歳にエリーザベト王妃国際コンクールで最年少優勝。

ミッシャ・マイスキー(チェロ)は1948年1月10日、現ラトヴィア共和国のリガに生まれ、8歳からチェロを始め、17歳でデビュー。その翌年、チャイコフスキー・コンクールに入賞。72年に出国してアメリカに渡り、翌年のカサド・コンクールに優勝。 本

チャイコフスキーは2009年7月のヴェルビエ音楽祭で3人が合奏し、その翌月にドイツ北部のイツェホーのtheater itzehoeで録音された。激情と慟哭がぶつかり合うドラマティックなトリオだ。高ポジションが煌めくように輝くピアノと、たっぷりと歌うヴァイオリンとチェロが丁々発止を演し、情感の深さを競い合う。濃密な感情が交錯し、触れば火傷するような熱い思いが胸を打つ。「15. ある偉大な芸術家の想い出のために第2楽章b: 最終変奏とコーダ」の主題回想部。消えゆくピアノに乗って、チェロとヴァイオリンが泣き噎ぶ場面は、涙無しには聴けない。

マンドリンの天才は、1978年イスラエル生まれのアヴィ・アヴィタル。2012年にドイツ・グラモフォンと専属録音契約を結んだ。第3弾リリースが、ヴィヴァルディの器楽の協奏曲。ヴェニス・バロック・オーケストラと協演だ。

第1曲の「調和の霊感より ヴァイオリン協奏曲イ短調 RV(ヴィヴァルディ作品番号のリオム番号).356 ~第1楽章」は、ヴァイオリン初心者が合奏する、ポピュラーな名曲。第1楽章は溌剌として躍動的だ。第2楽章は、マンドリンならではの哀愁が漂う。第3楽章は、ハイスピードで軽快。ヴァイオリン的な滑らかなパッセージも、一音一音が弾かれて撥音するので、尖りが連続する先鋭感が面白い。マンドリンのために書かれた正真の「マンドリン協奏曲」ハ長調RV425は、この撥音という発音特性を活かした作品であることが、編曲ものと聴き比べるとよく分かる。ボーナストラックにはテノールのファン・ティゴ・フローレスがゲスト参加。アヴィ・アヴィタルのマンドリンを伴奏に「ヴェニスの舟歌」を情感たっぷりと歌い上げている。

録音はたいへん鮮明。マンドリンの立ち方がシャープであるばかりか、背後のヴェニス・バロック・オーケストラの音像もクリアーだ。2014年9月、イタリアはトレヴィーゾのテアトロ・デッラ・ヴォーチで録音。

1988年、ラトビア生まれのアコーディオン奏者、クセーニャ・シドロワのドイツ・グラモフォン・デビューアルバム。8歳でアコーディオンを始め、ロンドン王立音楽アカデミーで学び、2009年にロンドンはウィグモア・ホールでデビュー。2017年2月にパーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響と共演。

「ビゼー:歌劇「カルメン」より(アコーディオンのための編曲版)」は、アコーディオン、ギター、パーカッション、ピアノとオーケストラ(ボルサン・イスタンブール・フィルハーモニー管弦楽団)のアンサンブルという編成。よく知ったメロディがアコーディオンで奏されると、さらにスペイン情緒が濃くなる。音色のイメージ喚起力が強い。編曲としては旋律と情緒感だけ残して、後は自由に想像力を膨らませている。組曲の始まりと終わりに「ハバネラ」を配し、15曲を挟む構造だ。

印象的なトラックを紹介しよう。「4.ジプシーの歌」の目も眩むような速弾き。「6.憂鬱な夜」のセクシーな情感。「9.祭り」はビゼーの「アルルの女のファランドール」が原曲。パーカッションと作にアコーディオンが躍動。まるでラテンの情熱だ。「10.別の女」はしっとりと情感豊か。オーケストラもたっぷり歌う。「12.ジプシー風」は原曲の「ジプシーの踊り」。オーケストラの楽器群と丁々発止するアコーディオンの名技が楽しめる。「16.闘牛士」は有名な「闘牛士の歌」だが、ジャズ風にスウィング。かなりよたった闘牛士だ。酒でも飲んだか。牛に衝かれるだろう。

2015年8月、11月、ベルリン、イスタンブール、ロンドンで録音。